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AVTuberの定義

提供: AVTuber Wiki
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本記事では、AVTuberの定義について整理する。

AVTuberとは、一般に「バーチャルアバターを用いて成人向けコンテンツを制作・配信する活動者」を指す呼称である。しかし、この定義は必ずしも一義的に確定したものではなく、外形的要件・文化的規範といった複数の要素が重なり合うことで成立している。本記事では、これらを区別した上で整理する。

外形的・形式的定義

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外形的には、AVTuberは以下の二要件によって定義できる。

  • バーチャルアバターの利用:立ち絵・Live2D・3Dモデル等のキャラクター体を用いて活動していること。
  • 性的コンテンツの提供:配信・動画・販売物などを主として扱っていること。

この二点を満たす場合、当該活動者は形式的にはAVTuberと分類される。この定義においては、「実写要素の有無」「身体露出の程度」「配信主体か販売主体か」といった要素は要件には含まれない。

文化的規範による定義

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規範としての「非規定性」

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実際の運用においては、AVTuberという呼称はAVTuber文化圏内部の規範に強く依存している。ただしここで特徴的なのは、明確で統一的な規範が存在するわけではないという点である。むしろ、規範を固定的に定めないこと自体が一種の規範として機能しているといえる。すなわちAVTuber文化においては、以下のような問題について明確な共通基準を設けず、個々の活動者および視聴者の判断に委ねる傾向がある。

  • 実写要素をどこまで許容するか
  • キャラクター性と実在性(中の人・魂)をどの程度分離するか
  • 身体露出の程度をどのように扱うか

この「非規定性」は単なる未成熟の結果ではなく、AVTuber史の発展過程で培われてきた顕著な特徴である。この性質により、AVTuber文化は「表現の自由度の確保」「多様な活動形態の包摂」、そして「実写要素の排除を絶対視する一般VTuber文化への相対化」[1]といった側面を持つに至っている。

総じてAVTuberという呼称は、明確な境界を持つカテゴリーというよりも「外形的・形式的定義を共通軸として結びついた緩やかな実践の集合」として理解される。

結果として、外形的には定義を満たしていてもAVTuberと自称しない例や、VR風俗のような外形的・形式的定義に当てはまるか否かの境界事例も「概ねAVTuber的なもの」として受け入れられている。またそのような境界事例に対しての「これはAVTuberか否か」といった「定義」論争は通常は見られない。

「非規定性」を獲得するに至った要因

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AVTuber文化がこのような「非規定性」を獲得した背景には、以下のような要因が考えられる。

  • 「反逆」から始まった歴史:AVTuberの発祥過程は当初から、プラットフォーム規制への抵抗や「どんなに際どくてもVTuberは性的なことを実演しない」という建前の突破など、一般VTuber文化が当然としてきた事柄への「反逆」が存在していた。この歴史的経緯により、一般VTuber文化における文化的規範の教条化を受け入れがたい心理的障壁が(無意識レベルであっても)存在していた可能性がある。
  • 「ジャンル定義」にエネルギーが向かわなかった:AVTuber史は言い換えればプラットフォーム規制などの圧力への抵抗史でもあった。この抵抗に関心が集中した結果、文化的規範によりジャンルを定義し文化の方向性を統制しようとする方向にエネルギーが向かわなかった。
  • 「イデオローグ」の不在:文化圏内で広く共有される強力な文化的規範が形成される際は、それを体現するカリスマ的人物や団体がイデオローグ(思想的指導者)としての役割を果たすことが多い。しかし、AVTuber文化圏ではその役割を果たす活動者が不在であった。ポータルプロを率いるピンキーweb氏は、その影響力からもっとも適任であったといえるが、氏は他者の自主性を最大限尊重する信条の持ち主であり、自らの理念を体現した作品づくりには熱心でも、その理念を規範として他者に広める(強制する)行動は取らなかった。この「イデオローグの不在」もしくは「寛容の中心」の存在が、結果として非規定性な文化を育む土壌となった。

一般VTuberとの関係

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AVTuberは、形式的には広義のVTuberの一つとして理解することが可能である。すなわち、「バーチャルアバターを用いる配信者」という基本定義を共有している。

しかしAVTuberと、VTuberにおける最大勢力である一般VTuberとの間は、それぞれの文化圏における文化的規範への態度が大きく異なる。

一般VTuber文化においては概して、

  • 実写(特に身体露出)要素の排除
  • キャラクター性の維持
  • 公的領域における性的表現の抑制

といった規範が重視されており、そこからの逸脱(特に実写要素の導入とキャラクター性の「崩壊」)は、ブランディングなどの状況によっては許容される可能性があるとはいえ、概ね強い拒否反応が示される傾向にある[2]。またこの文化的規範を外形的・形式的定義と同一視した上で教条的に扱い、「実写要素を排除しキャラクター性を維持する」ことを絶対視する(少なくとも一般VTuber文化における主流として扱う)言説も見られる。

これに対しAVTuber文化は、前述のとおり規範を定めないこと自体が規範として機能しているため、

  • 実写・身体性を導入するもしないも自由
  • キャラクターと「中の人・魂」を混交させるもさせないも自由
  • 性的コンテンツの積極的な扱いは概ね共通するが、これは「性的コンテンツを扱う」という外形的・形式的定義の範疇

という、一般VTuber文化とは対照的なおおらかな態度となっている。また、特定の事例に対し「このような活動はAVTuberに当てはまるか否か」を論じる「定義」論争は、AVTuber文化の中ではほとんど見られないか、あっても極めて少数である。

このため、一般VTuber文化からは「AVTuberはVTuberから逸脱した存在」あるいは「VTuberである意味がない」とする言及が散見される[3]。しかしこれらの言説は得てして、

  • AVTuber文化が既に一般VTuber文化から自立し別系統進化した存在になっている現状へのリサーチ不足
  • 本来は一般VTuber文化の中でのみ通用する文化的規範が、他の文化においても無条件で通用するはずとの思い込み
  • 文化的規範と外形的・形式的定義との混同

に基づいてなされている点に留意する必要がある。

  1. ここでいう相対化とは、実写要素の肯定そのものではなく、特定の考えを教条的な規範として強制しない態度を指す。
  2. 実際に2.5次元で活動する一般VTuberは一定数存在するが、それでも「これはVTuberなのか」という疑問や批判を文化圏内から受け続ける状況は覚悟しなければならない。
  3. なお言うまでもないがこのような言及はあくまでも散見レベルであり、大半の一般VTuber文化側からの反応は「距離を置いた上での不干渉もしくは無視」である。